テニスクラブのContrast 〜そして対比は続く。〜

今日もプリンステニスクラブではコートによって雰囲気が違う。



さんの場合』

いきなりすぎて大変申し訳ないのだが、さんはぶっ倒れていた。
それも―物騒なこのご時勢にこういうのも憚られるが―
変死体のごとく腕や足を不自然に曲げた状態でうつ伏せに、だ。
更にタチの悪いことに、口から何か漏れているっぽい。
深く想像するのはやめた方がいいだろう、相当に不気味だから。

とにかく少女は顔色悪く倒れていた。冗談抜きでうんともすんとも言わない様は
傍から見ればますます不気味である。
やがてそこへ人影がやってきて、可哀想な少女は蹴っ飛ばされた。

「ぐえぇぇっ!」
「どこで寝てんだ、このボケ。さっさと起きろ。」

ここまで付き合いがあればもうおわかりだろう、さんを蹴っ飛ばして起こした
えげつない人影は跡部景吾氏その人である。

「あ、俺さ…もとい跡部コーチ、こんにちは。」
「今余計なことを言おうとしただろ。」
「た、多分気のせいかと。」

当然、気のせいでも何でもないのでさんは自らの失言が招いた結果として
頭を跡部氏に拳―それも両方の―でゴリゴリグリグリやられる羽目になる。
この辺はさんに学習能力がないと言わざるを得ない。

「痛い痛い痛い、それにウゲッ、気持ち悪いー。」

さんの今にも吐きそうな状態にさすがの跡部氏も何か感づいたようだった。

「その様子だと何かまた妙なことに巻き込まれたな。」
「はい、実は…」

未だに顔色が回復しないままに
さんは自分とこのメインコーチに事の次第を話し始めた。


跡部氏が来るより大分前、さんは本日担当のサブコーチ、乾氏と
雑談なんぞを交わしていた。

「という訳で、テニスにおいては相手のことを良く知った上で戦略を立てるのも
 有効なわけだ。」
「あー、なるほど。せやけど私には多分無理かと。
 まず第一にいちいち情報を集めようという気が起きませんから。」
「一度やってみたらどうだい、結構ハマるよ。」
「い、いや、ええです。誰が好き好んでストーカー呼ばわりされたがるねん。
「何か言ったかい。」
「べ、別に、なんも。」

さんはぎくりとしながら答える。
何かの拍子にポロッと本音を漏らす癖はかなり危険なものがある。
が、幸い相手は跡部氏ではなかったのでさんは頭をはたかれることもなければ
尻をひっぱたかれることもなかった。

「せやけど前から(おも)てたんですけど、乾コーチはいっつもちまちまデータ集めてて
 他の人から顰蹙(ひんしゅく)買わへんのですか。」
「買ってるけどしょうがないよ、俺は必要なことをしてるだけだからね。」

果たして必要なのか、とさんは内心疑問に考える。
今まで自分で見てきたことと周囲の評判をあわせて考えてみる限り、
どっちかというと不要な情報まで集めているような気がしてしょうがない。
しかしそこはやっぱり乾氏と言おうか、生徒が言わんとしていることはお見通しだった。

「言っておくけどね、さん。別に俺はストーキングをしてる訳じゃない。
 子供の頃もよく勘違いされてたけど、本当に必要な情報を集めてるだけなんだ。
 このご時勢だからみんな神経質になりがちだけど、何でもかんでも
 犯罪に関連づけしたがる傾向はどうかと俺は思うよ。」
「え、ああ、はぁ。」

今更やけどこの人、跡部のにーちゃんとちゃう(違う)意味で怖いなぁ。

さんは引きつるしかない。
そういえば、

「ちょっとお尋ねしたいんですけど。」
「何だい?」
「大分前レッスン中に怪我して跡部コーチに医務室に強制連行された時に
 向こうが餌付けしてきよったんですけど、何か訳わからんこと教えませんでした?
 私の機嫌が悪かったらおやつあげたらええとか何とか。」
「俺は別に何もしてないよ、聞かれて知ってたら答えたとは思うけどね。
 そうか、いいことを聞いたぞ、記録しておこう。」
「書きなさんなっ!」
「冗談だよ。」

嘘や、とさんは思う。
というのもさんが発言した直後、
乾氏が握っているシャーペンが明らかに動いていたからだ。
しかもさんが突っ込みを入れると、あからさまにつまらない
という顔をして渋々消しゴムを使っている。

「そんなんやから子供の頃から突っ込みを入れられてたんちゃうかと。」
「人生には多少の楽しみもないといけないんだよ。
 俺だってずっとガチガチにやってたら疲れるしね。」
「理屈に無理があるんちゃいますかー。」
「やれやれ、まだ若いのに発想が固いな。以前から思ってたんだが、
 君はもう少し柔軟性を身につけるべきだ。」

乾氏も大概若い方に入ると思われるが、そこの所は聞き流そうとさんは決める。

ちゅうか、悪かったな頭固くて。

「ところでさんにちょっと頼みたいことがあるんだけど。」
「なんでしょか。」
「ちょっと試してもらいたいものがあるんだ。」

言って乾氏が鞄をゴソゴソやりだしたので、さんは高速で逃亡しようとした、が、

「どこへ行くんだい。」

首根っこを掴まれて、さんは前進出来ない。
毎度毎度このパターンに(はま)るのは、さんが異常にどんくさいのか
相手が異常に素早いのか、どっちだろう。

「人がまだ何もしてないのに予め逃げようとするのには何か理由があるのかな。」
「いや、あの、ここに来てからの習性と言おうかなんと言おうか。」

寧ろさんとしては、またぞろ乾氏の新型怪ドリンクの被害者に
なることがわかってるのに逃げない阿呆がどこにおるねん、という話である。
今までの経験からして乾氏が鞄の中を漁り始めたら要注意と決まっているのだ。
今回もほぼ100%の確率で変なものが入ったボトルが出てくるだろう、と
さんは予測していた。とにかく危険である。
さんの脳内では赤い光が点滅していて、警報がビービー鳴り響いている。
とっととトンズラしないと今度の今度こそ救急車沙汰になりそうだ。
これで忍足氏か、最悪でも跡部氏がいれば何とか乾氏の暴走は
阻止できる可能性があるが、忍足氏は今日の担当を外れているし
こんな時に限って跡部氏はまだ来ていない。

そうこう考えているうちに、乾氏は鞄から取り出した魔法瓶の蓋を開けている。
さんの全身から血の気が引いた。

「あ、いや、その、私今そんなに喉渇いてへんし、どうぞお構いなく。」
「別にたくさん飲まなくてもいいよ、一口か二口くらいで構わない。」
「い、いや、ホンマに結構です。」
「そう言わずに。」
「嫌やーっ!」


そして、話は最初に戻る。


「ハン、またいつもの野菜汁か。」

さんの話を聞いて跡部氏が鼻で笑う。

「毎度毎度似たようなモンを持ってきやがる乾も乾だが、
 飲まされる度にぶっ倒れるてめぇも芸がねぇな。」
「じょーだんやない、あんなもん飲まされてぶっ倒れへん訳あるかいな。」
「そいつぁ驚きだ、何を飲まされたんだか言ってみろ。」
「何か、カフェインが普通のコーヒーの30倍でビタミンCが
 メロン30個分とかいう訳のわからんものを。うぇぇぇ。」

呻きながらさんが説明した途端、意外なことに跡部氏が固まった。
ギギギッと首をさんに向けながらコーチは問う。

「お前、アレ飲んだのか。」
「さっきも言うたとおり、強制的に飲まされましたけど、それが何か。」

ゲホゲホしながら問い返す少女に、しかしいつも尊大な約1名様は
表情が凍ったままである。

、いつもならてめぇみたいなクソガキがどうなろうと知ったこっちゃねぇがな、」

上から目線の言い方のわりに青ざめた顔で跡部氏は言った。

「今回だけは同情してやる。マジで災難だったな。」

さんは例によって、キョトン、とする。

「コーチ、つかぬ事を窺いますがまさかアレ飲んだこと…」
「うるせぇっ、言うな、思い出させんじゃねぇ!」

飲んだことあるんやな、とさんは解釈した。

「乾コーチって昔から広範囲で人に迷惑かけてたんやなぁ。」
「バカ野郎、んな程度で済むか。あいつのは迷惑なんてもんじゃねぇ、公害だ。
 後、義理はねぇが言っといてやる、奴と焼肉を食いに行くのは絶対にやめとけ。」

事情がわからんさんとしては、一体何があったのか
聞きたくてしょうがないのだが聞いたらまた『思い出させるなっ!』と
噛み付かれそうなのでやめておいた。

「ところで乾の野郎はどこ行った。まさかトンズラしたんじゃねぇだろうな。」
「ちょっとお手洗いに行ってくるとか何とか言うてはりましたけど。」
「戻ったらぶっ殺す。はともかく、俺様に屈辱的なことを思い出させやがって!」

私のことはともかくかいっ!

と、さんは思うが、跡部氏が聞き入れないとわかっていると
かなり悲しいものがある。
まだ治らない気持ちの悪さも重なって更に辛い。
まだ胃の辺りがムカムカしているのだ。

「ううう、アカン、最悪。」
「うるせぇな、んなに辛いんなら医務室行くか。」

いきなし跡部氏がポソッと呟いたので、さんは耳を疑って
『はへ?』などという間抜けな言葉を口にしてしまった。

しばらく2人は何故か無言状態になる。
正直、傍から見れば奇妙な光景だ。
少女の方はキョトンとした顔をして相手を見上げてるし、
相手は相手で明らかに反応に困った無表情でじっと少女を見下ろしている。
しまい目にケリをつけたのは跡部氏だった。

「いつまで人のことジロジロ見てんだ、アホ。」

ゴンッ

「何で?!」

いきなり頭を殴られたさんは訳がわからない。
理不尽な目に遭わされるのは一応慣れっこになってるが。

「何でもへったくれもあるか、こういう場合にはさりげなく目を逸らすとか何とかあんだろ。
 ったく、気が利かねぇ。だからてめぇはアホだってんだ。」
「意味わからんし!ちゅうか、それ明らかイチャモンやん!」
「ゴチャゴチャうるせぇ、ガキの癖に細けぇこといちいち言うな。器が知れるぞ。」

跡部氏は自分のことを棚にあげてよく言えたもんだが、
いつもならその辺を突っ込むさんは今回は別の手に出た。

「まぁそれはともかく、乾のおにーさんに関してはどないしたらええですかね。」
「チッ、流しやがったか。微妙に成長しやがって、クソガキ。
「あ、ちなみに俺様にクソガキ呼ばわりされる筋合いはないかと。」
「んなとこだけ聞いてる時点でクソガキだっ。」

こうして生徒とメインコーチが低レベルな言い争いをしているところへ
乾氏が戻ってきた。

「やぁ、跡部。もう来てたのか。」

状況に気づいているのかいないのか、レンズ厚すぎの逆光眼鏡で
しれっとのたまう乾氏に跡部氏は限界が来たらしい。

 ブチッ

何だかヤな音が聞こえた気がして、さんはヤバイ!と感じた。

「乾、テメーッ!」
「な、何なんだ、急に。」

どうやら状況を飲み込めていないらしい乾氏は困惑するが
跡部氏がそれで納まればこんな物語はいらない。

「てめぇっ、いつものふざけた野菜汁程度ならともかく粉悪秘胃(コーヒー)まで
 持ち出すってのはどーゆー了見だっ!俺様に喧嘩売ってんのか、ああっ?!」

うわあああああ、やっぱりこうなってもうたがな!

さんは悪い予感が当たってすっかり怯えている。
そらそうだ、ブチブチにキレまくった跡部氏は止めようがないのだから。

「跡部、落ち着け。理屈に合わない。お前に粉悪秘胃を飲ませて
 文句を言われるならともかく、飲んだのはさんだよ?」
はこの際どーでもいいんだよ、俺様に悪夢を思い出させた、
 それだけでてめぇは重罪だ。」

言ってる事が完全に自分本位な上、生徒をないがしろにしまくっている跡部氏に
さんは泣きそうになる。
が、それにしてもこの状況は大変によろしくない。

「今日という今日はマジで勘弁ならねぇ、ぶっ殺す!」
「アカンて、ちょっと、コーチ、落ち着いてくださいよー!」
「うるせぇっ、邪魔だてすんな、バカ!」
「やれやれ、本当に支離滅裂だな。」
「そもそも乾さんのせぇ(せい)やないですかーっ。」
「そうなのかい?」

もー、このコーチらは!

さんは思った。

揃いも揃ってええ加減にせぇっ!!

少女の受難は終わらない。


さんの場合』

友人が瀕死のピンチに陥っていた間、さんは大変和やかな時間を過ごしていた。
今日の担当サブコーチは鳳氏なのであるが、同僚の間でも
人格者で通っている彼は生徒に対しては尚のことちゃんと接する。
ちなみにこちらもまだメインコーチが来ていなかった。
理由は不明だが、千石氏の場合はまた何か余計なことに
かかずらっている可能性が高いだろう。

ともあれ、そういう環境なのでさんは極々普通に
コーチと会話なんぞをしている訳である。

「そっか、じゃあさんはあまり他のスポーツはやらないんだね。」
「元々運動苦手なんで。」
「でもそれでテニスする気になったのも面白いね。」
「鳳さんも中学の時からテニスしてたんですよね。楽しかったですか?」
「うん、色々大変だったけど楽しかったよ。先輩で凄い人がいてね…。」
「へぇ。」

大変嬉しそうに語る鳳氏の様子はさんとってなかなかの見物だ。

「その先輩ってどう凄い人だったんですか。」
「うん、口は悪いけど凄い努力家だったよ。中学の頃にね、
 いっぺん大会で大負けしちゃってさ、正レギュラー落とされちゃったことが
 あったんだ。」
「そういえば、氷帝のテニス部は厳しいって聞いてます。」
「そうなんだよね。」

懐かしそうに目を細める鳳氏の様子はさながら青春ドラマの一コマである。
さんはというと、1回でも負けたらレギュラー落ちという環境というのは
どういった感じなのか、ということを考えてみる。
が、ちょい前までスポーツに縁のない人が想像しようとしてみても
無駄だという結論に至っただけだった。

「それでね、俺、先輩の特訓に付き合ったんだ。でもその人すっごく
 無茶なことするから気が気じゃなくて。」
「そんなに無茶だったんですか?」
「考えてもみてよ、俺はラケット持ってない人に向かって
 何度もスカッドサーブ打たされてたんだよ?
 それも球のほとんどが相手に当たって傷だらけになっちゃってるしね。」
「無茶な人ですね。」
「うん。でも凄いって思ったなぁ。勝つ為にそこまでやれるなんて、
 本気で先輩のこと尊敬したよ。」

思い出しながら話す鳳氏の顔はとても楽しそうで、さんは
まるで少年みたいだと思う。
子供みたいなメインコーチなら約1名知っているが、それとはまた別の話である。

「でね、その先輩、とうとう正レギュラーに復帰したんだ。」
「へぇ、本当に凄い。」
「でしょ?それも凄かったんだよ。わざわざ監督や跡部さんに直訴してね、
 しかもその場で自分の髪の毛切っちゃったんだ。せっかく伸ばしてたのに。
 あの時は本気で感動したよ、人間、腹を決めたら何でも出来るんだね。
 あれは今でも忘れないよ。」

その後鳳氏は、中学の頃の思い出話を珍しいくらい熱く熱く語ったので
さんはちょっと体力をそがれた。
鳳氏が楽しそうに話しているのを聞くのは大いに嬉しいが、
普段は落ち着いている人がテンション高くなっていると吃驚(びっくり)するもんである。

ま、たまにはいいか。

さんは思った。とりあえず千石氏の暴走に比べれば、ずっとよい。

「いい先輩がいてよかったですね。」
さんもそう思う?嬉しいな。」
「私、そういう人いないんで。」
「まだ学生なんだから、わかんないよ。尊敬できる人に会えるといいね。」
「はい。」

せっかくのドラマのワンシーンに水を差すかのように
どっかのコートから妙な叫び声が上がったのはこの時である。

「あれ、何だろう。随分騒がしいね。」

不思議に思った鳳氏がコートの外に目をやるが、
さんは水分補給をしながら何食わぬ顔で動かない。

「大丈夫だと思いますよ、コーチ。」
「え?」

首を傾げる鳳氏にさんは事も無げに答えた。

「多分、がまた死にかけてるだけなんで。」

人の好いサブコーチの顔が引きつったのは極自然な反応である。

「死にかけてるって、そういえば今日あっちは乾さんが担当だっけ。
 あの人、また何か飲ませたのか。」
「変な声出してるし、多分そうじゃないかと思います。」

さんの反応はどこまでも淡白である。白身魚も吃驚だ。
で、あまりにもさんの態度が普通なものだから、鳳氏はかなり動揺した。

「あ、あのさ、友達のこと心配じゃないの?」
「別に。が何かに巻き込まれるのは日常茶飯事ですから。」
「そ、そう。」

額に冷や汗を浮かべる鳳氏に対して、さんはそんなに
うろたえることだろうか、と考えていた。
勿論悪意はなくて、10割方天然で。

「大体、いっつも大袈裟なんですよね。乾さんのドリンク、
 おいしいと思うんですけど。」
さんって、ホントびっくりするくらい個性的だよね。」
「そうですか。普通だと思いますけど。」

そしてこの時さんはちょっと行って乾氏の新型ドリンクを
味見しに行こうかと本気で考えていた。


今日はまだまともにレッスンが始まっていないのに、対比が大変顕著である。
とりあえずはこの後の展開を静観してみよう。



さんの場合』

さんはボロボロだった。ギャグ漫画さながらのボロボロぶりだった。

「何で私がこんな目に。」
「うるせぇ、ガキ。大人の事情に首を突っ込むからだろうが。」
「大人のぉ?大人気(おとなげ)ない事情やったらわかるんですけど。」
「マジでお前、最近言うようになりやがったな。」
「で、どないしはるんですか、この状況。」

さんはゲンナリして呟く。
少女の目の前には体長1メートル84センチの巨大生物がノビていた。

「ほっとけ。さっさとトレーニングに入るぞ。」
「人に事情聞かれますよ、こないなとこに放置しとったら。」
「自分で新型ドリンク試飲してぶっ倒れたって言っとけ、
 誰も疑いやしねぇよ。」

そんなことはない、と言い切れないのがさんにとっては辛いところである。
が、これ以上言ってもしょうがないのでとりあえずはレッスン開始だ。
いつもどおりにさんは跡部氏に食いついて頑張っている。
跡部氏は本気なのか、面白がってるのか悪戦苦闘する生徒に
ボロカス言いながら指導中である。

「おらおら、ボケ。てめぇはまだこの程度か?」
「こ、この陰険コーチ、えー加減にせーっ。」
「減らず口を叩く余裕はあるらしいな。」

バシッ

「ていっ!」

意地悪コーチの打ってくる球にもボツボツ慣れてきたさんである、
ちゃんと頭をぶつけずに打ち返した。

「あんだ、つまらねぇな。」

とか言いつつ、当のコーチがちょっとばかし嬉しそうに見えるのは
気のせいだとさんは考える。

油断したらアカン、この人が何か(わろ)とんのは何かろくでもないことを考えとる時や。

日頃虐げられまくってると思考は非常に負の方向に走りやすい。

「おら、ボケっとしてんな。」
「ちょ、ちょっ?!」

思ったとおり、どーやったって現状のさんでは取れないようなショットが飛んできた。
おかげで少女のラケットはむなしく空を切る。

「どうせこんなことやと(おも)たわ。」
「厳しく教育してやってんだ、有難く思え。」
「せやからコーチのは単なる道楽かあるいはイジメやと…」
「とか言って文句垂れる割にはよくついてくんのはいつも評価してるがな。」
「はい?!」

最近の跡部氏はさん的にはよくわかんない変則的な言動が多い気がする。

「何でもねぇよ。」
「どないしはったんですか、何か顔が真っ赤になってはりますけど。」
「うるせぇ、こっち見んな、馬鹿!」
「見ろ言うたり見るな言うたり、無茶苦茶やなぁ。」
「まぁ、跡部だからね。」

さんはそのまま、『ああ、なるほど。』と言いかけてそのまま凝固した。

「乾さん、いつの間に。」
「ついさっきだ。君達の漫才がうるさくてね。」
「いや、漫才ちゃうから。」

さんは本能的に平手突っ込みをしてハタと気づいた、
後ろでまたどす黒い気配がするのを感じて。

「あの、乾さん、いきなしで申し訳ないんですけどお逃げになった方がええんとちゃうかと。」
「何でだい?」

何でもへったくれも、さんと乾氏の後ろではちょい前の一件を根にもった
(ただし、1人勝手に)跡部氏が乾氏を殺さんばかりに構えてたからである。

「わぁぁぁ、ちょ、コーチ、落ち着いて落ち着いて!」
「うるせぇ、、どけ。」
「跡部、最近寝不足なのかい。随分カリカリしてるけど。」
「天然ボケはええから、はよ逃げてー!ちゅうか、跡部コーチは止まってー!」

結局、さんにとってよろしくないことに事態はまた元に戻ったのだった。


さんの場合』

さんのところにメインコーチの千石氏がやってきたのは、
レッスン開始からかなり時間が経っている頃だった。

「ヤッホー、ちゃん、鳳クン☆」
「おはようございます、コーチ。」
「おはようございますって、千石さん、何なさってたんですか?
 大遅刻ですよ。」
「いやぁ、いっぺんはちゃんと起きたんだけど後5分って思ってたら
 そのまま熟睡しちゃってさっ。」

そのまま悪びれる様子もなく、アッハッハッと笑う辺りはさすが千石氏である。

「要は二度寝したんですね。」

さんにすっぱり言われて千石氏は冷や汗をかく。

「アハハ、やっぱちゃんキビシー。」

さんは呆れて、まったくこの人は、と思う。そのくせ、

「さ、遅くなっちゃったけど俺も仕事しないとね。」

一瞬だけ真面目な顔になった千石氏に魅せられちゃってんだから世話はない。

「それにしても損しちゃったなぁ。」
「どうしたんですか、コーチ。」
「いやぁ、寝坊した分ちゃんと話す時間がなくなっちゃったからさー。
 その分鳳クンと喋ってたのかなって思ったらちょっとジェラシーかなって。」

さんのときめきはあっちゅう間に霧散した。
そのまま千石氏を交えてレッスンは続行されたが、相変わらず千石氏は
すこぶる私語が多い。
学生の頃はさぞかし教師を困らせていたであろう。

ちゃん、ショットが鋭くなったねー。ひょっとしたらそのうち凄い選手になったりして。」
「まさか。」
「いやいや、もしちゃんが同じ歳だったら学生の時に
 試合したかったかもって今思ったんだよね。」
「しょうもない冗談は今はいいです。」
「まぁそう言わずに。」
「千石さん、もう大概にしてください。」

今困らされているのは同僚と生徒だが。

「だけどちゃん、ホントにうまくなったよ。」
「ありがとうございます。」

とりあえず礼をいうさんだが、大遅刻はするしこの人大丈夫だろうかと
少々不安になってくる。
気づけば可哀想な鳳氏が深い深いため息をついていた。
千石氏の相手は真面目な人にはさぞかしきつかろう。

「あっ、そうそうちゃん!」

千石氏が突然思いついたように声をあげる。

ちゃんさ、前にデートした時あげたピアスまだしてないよね?
 ひょっとして趣味じゃなかった?」

そーゆーことを今ここで言う?!
さんはあっけにとられて動きが止まる。
チラッと後ろを見たら鳳氏が顔を赤くして困りまくっている。当然の反応だ。

「いえ、あの、そうじゃないんですけど、」

さんは慌てて千石氏を黙らせようとするが、千石氏は全く状況を分かってないようだ。

「あ、そうなの、良かった。じゃ、今度暇だったら俺つけてあげるよっ。」

だから今、そういう話をしてんじゃなくて!
とうとうたまりかねたさんはいつものパターン(多分)を発動した。

 ゲシッ

「アイター!」

ネット越しに足を蹴られた千石氏の叫びが響く。

「空気読んで下さい。」
「ゴメン。」

涙目で謝る千石氏は哀れとしか言いようがなく、それを見つめるさんは
相当に冷ややかだったという。



ここでいつもの通り、休憩時間である。

「もう、最悪ー。」

缶の緑茶をすすりながらさんがぼやく。

「アンタが最悪じゃないことなんてあったの?」
、ひどっ。ちゃうとはよう言わんけど。」

さんはコーラを一口飲みながらしれっとしている。

「そういえば、アンタんとこ、今日はいつも以上にうるさかったけど何があったの。」
「細かい事情言うのもめんどいくらいの事態になっとった。早い話が跡部コーチのご乱心。」
「いつも乱心してるんじゃなかったっけ。」

さんの言動は一歩間違えればこれまたとんでも事態を引き起こしそうだ。
さんは冗談じゃないと緑茶をもう一口。
ちょっとはテアニンの効能があるかもしれない。

「せやけど、まぁ何だかんだですっかりここのクラブに馴染んでもたな。」
「そうね、千石コーチの暴走にも慣れたし。」
「相変わらずボロカスやな。」
「事実だもん。」

ここで2人の少女は何故か思わず顔を見合わせてクスクス笑う。

「何かなぁ、日々波乱やなぁ、ここ来たら。」
「それはそれでいいんじゃない。」
「せやろか。」



と、まぁ休憩時間を挟んでいつもどおりまたレッスン開始な訳だが…。


さんの場合』

さんが休憩から戻ってくると、さっき二度目の気絶をしていたはずの
乾氏が復活していた。
しかし、

「やぁ、さん。」
「えーと。」

さんは反応に困っていた。恐らく医務室に行ってきたと思われる乾氏は、
いつかのように絆創膏や湿布だらけになっていたからだ。

「なんちゅうか、大分えらいことになられたようで。」
「あれだけやられるとね。まったく、跡部の奴め。」
「そういえば、跡部コーチは?」
「まだ戻ってないな。かなり機嫌悪かったから、ひょっとしたら戻ってこないかもね。」

さんは頭を抱えた。跡部氏の場合、有り得ないと言い切れないのが毎度嫌になる。
ここまで来ると最早、乾氏と跡部氏のどっちが悪いんだかわからない。

「さて、これ以上跡部が戻るのを待っててもしょうがないし、
 先に始めようか。」
「その状態で大丈夫なんですか。」
「大丈夫だよ、中学の時なんか一度頭のてっぺんから足の先まで
 包帯だらけになったことがあるから。」
「一体何があったんですか。」
「聞きたいかい?」

無論、聞きたくなかったのでさんは丁重に断わった。が、

「コーチらの若い頃ってひょっとして…」
「突っ込みは無用だよ、ろくでもないのが多かったんじゃないかって。」

さんがチェッとこっそり呟いた所へ跡部氏が戻ってきた。

「あ、戻ってきはった。」
「おや、予想外だね。」
「うるせぇ、とっとと始めるぞ。」

言う跡部氏は一応普通だったので色々覚悟していたさんは拍子抜けした。

「どないしはったんやろ。」
「とりあえず一応落ち着いたみたいだね。可愛い生徒の為ならってトコか。」

さんの背筋に物凄い寒気が走った。


さんの場合』

さんが休憩から戻ってくると、さっき蹴っ飛ばされて涙してたのは
どこやら千石氏がニコニコしながら待っていた。

「あ、ちゃん、おっかえり〜。」

千石氏のテンションは底なしとみた。
そういえば鳳氏はと思って見たら、向こうの方で静かに準備している。
様子から察するに、千石氏がもたらす様様な事柄に関して深く考えまいと
必死で自己暗示をかけているようだ。珍しくブツブツと何やら呟いている。
さんは気の毒に、と本気で思った。

「さっ、早く始めよっか♪」

マイペースな千石氏はあまり周囲の状況にかまけず、そのままである。
この人ホントに大丈夫かな、と思うさんだったが、

「そうそう、ちゃん、足の具合は大丈夫?」
「え、あ、はい。今のところは。」
「無理しないようにね、何かあったらすぐ言うんだよ。」
「そういう気遣いはちゃんとできるのに、何でなんだろ。」

後ろで鳳氏がポツリと呟くのが聞こえて、さんは苦笑した。

「前からずっとああなんですよね。」
「うん、ずっと。」
「お互い苦労しますね。」
「そうだね。」


そして、

ーっ、てめぇっ!」
「わーっ、スイマセンスイマセン!」
「スイマセンじゃねぇっ、てめぇ何度スマッシュミスったら気が済むんだ、ああっ?!」
「そない言われてもわざとちゃいますって!第一、毎度毎度性懲りもなく
 私のヘボ玉に当たる方もどうかとっ!」
「口答えすんな、このガキっ。」
「今日も騒ぎは回避出来ずか、まぁこれもコミュニケーションの一種と取るべきかな。」
「乾っ、呑気に独り言言ってる暇があったらそいつ捕まえろっ。」
「捕り物は俺の仕事に含まれてないよ。それにいくら俺でも
 他人の関係に干渉する気には…」
「そーゆー問題ちゃうでしょーっ。ちゅうか、カンケー(関係)って何のカンケー?!」


「コーチ、いい加減にしてください。」
「そうですよ、千石さん。貴方がそうやってふざけると予定が全部狂ってくるんですから。」
「ダイジョーブだよ〜、鳳クン。俺もそんなヘマしないって。」
「とか何とか言って、こないだもさん巻き込んで雑談しまくってたそうじゃないですか。
神尾君がもういい加減にして欲しいってこぼしてましたよ。」
「あちゃぁ、えらい言われようだね〜。そう思わない、ちゃん。」
「私も神尾さんに同情します。」
「うわっ、やっぱりぃ。」

さんとさんのテニスクラブにおける対比は
これからも何だかんだと続く。

「この俺様コーチ!」
「何とでもいえ、バカ。」
「ねぇ俺が悪かったからさぁ、ちゃーん。」
「知りません。」

テニスクラブのContrast

終わり




(おまけ)

その後のコーチ室

「どないしたんや、乾。えらいボロボロやんか。」
「いや、少々色々あってね。」
「自業自得だ、この野郎。」
「お前らどこまで相性悪いねん。」

「神尾君、俺って無力なのかな…。」
「おいおい、いきなり何だよ?!」
「あれ〜、鳳クン、どしたの?」
「原因は千石さんだな。」




作者の後書き(戯言とも言う)

長らくお待たせしました、テニスクラブのContrast、とうとう完結です。
ここまで来るのに相当かかってしまいました。
連載を始めたのが多分、2,3年前だったと思うので
とんでもなくノロノロペースでやっていたということになります。
とりあえず対照的なテニスクラブライフの物語はここで一旦終わります。
しかし、ひょっとしたら外伝なんぞをやるかもしれません。
(例によって予定は未定ですが)

ともあれ今まで不定期すぎる更新に付き合って、ここまで読んで下さった皆様、
そしてこの作品を作るのに多大な協力をしてくれた友人に
感謝を捧げたいと思います。

ありがとうございました。

2007/12/16


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